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【命の大切さについて考える】毎年10月は臓器移植普及推進月間です!

 

私たちは臓器を「提供する」「提供しない」、移植を「受ける」「受けない」という4つの権利を持っています。臓器移植に関する正しい知識を身につけ、元気なうちにあなたの意思を表示しましょう!

 

 

 

移植を必要としている人の数と現状

移植による健康回復に望みを持ち、日本臓器移植ネットワーク(JOT)に登録して待機している人は約15,000人。しかし、死後の臓器提供によって移植を受けられる人は年間約400人です。
※角膜移植を希望してアイバンクに登録している人は約2,000人。

JOTに登録されている各臓器の移植希望者数と待機年数と主な病気(2021年8月31日時点)

●肺(491人)待機年数:約2年半、主たる疾患:肺高血圧症など

●肝臓(332人)待機年数:約1年半、主たる疾患:原発性硬化性胆管炎など

●心臓(926人)待機年数:約3年、主たる疾患:拡張型心筋症など

●膵臓(203人)待機年数:約3年半、主たる疾患:1型糖尿病など

●腎臓(13,388人)待機年数:約14年半、主たる疾患:慢性腎不全など

●小腸(8人)待機年数:約1年、主たる疾患:短腸症候群など

 

 

臓器移植・臓器提供の基礎知識

臓器移植とは、病気や事故によって臓器が機能しなくなった人に、他者の健康な臓器を移植して、機能を回復させる医療のことです。臓器提供は、脳死後あるいは心臓が停止した死後にできます。生前に書面で臓器を提供する意思を表示している場合に加え、ご本人の臓器提供の意思が不明な場合も、ご家族の承諾があれば提供することができます。この他、移植を受ける方の親族(6等親内の血族と3等親内の姻族)に限り、健康な人が臓器を提供することも可能です。

 

 

 

臓器提供の流れ

STEP1:病院に入院
STEP2:臓器移植コーディネーターによる説明
STEP3:家族の意思決定
STEP4:脳死判定(脳死後の提供時のみ)
STEP5:移植を受ける患者の選択
STEP6:臓器の摘出手術
STEP7:身体のお戻し

 

 

Q1:意思表示や臓器提供は誰でもできるの?

意思表示をすることに、年齢の上限はありません。臓器を提供する意思表示は15歳以上が有効ですが、ご本人の拒否の意思がなければ15歳未満でも家族の承諾があれば提供が可能です。提供しない意思表示については年齢にかかわらず有効です。がんや全身性の感染症で亡くなられた場合には、臓器提供できない場合があり、臓器提供時に医学的検査をして判断します。これまで0~70歳代の方からの臓器提供が行われています。

 

Q2:臓器提供側に費用の負担や謝礼はあるの?

臓器提供はあくまでも善意による行為であるため、臓器提供側に費用の負担は一切ありません。また、葬儀の費用や謝礼が支払われることもありません。臓器を提供した場合、厚生労働大臣より感謝状が贈られます。

 

Q3:臓器移植でどこまで健康な状態に戻るの?

個人差はありますが、移植後は免疫抑制剤などを服用し、拒絶反応や感染症に注意すれば、多くは健康な人とほぼ変わらない生活を送ることができます。中には、移植後にオリンピックのメダリストとなった人やプロサッカー選手として活躍している人もいます。

 

 

 


 

 

 

卒業
12月。あと1週間もすれば我が家にもサンタクロースなる人が現れてくれるはずでした……。その日は、雪は降らないがとても寒い月曜日。いつものように朝が来て、いつものように3人の子どもたちはそれぞれの学校に行き、主人に続き私も仕事に行こうと重たい腰を上げようとしていたときです。突然、電話が鳴りました。
電話に出るとそれは一番上の娘の学校からで、「〇〇さんですか。□□高校の◇◇ですが、娘さんが事故に遭われまして、今、警察から連絡があると思いますので……」とのことでした。
電話を切るとすぐ、消防より電話が入り、状況を知らされました。受け入れ先が決まり次第また連絡する、とのことで一度電話を切りました。娘が事故に……、まさかうちの娘が。
主人の勤め先の近くにドクターヘリが降りるグラウンドがあり、「とりあえず行ってみる」と主人は車で飛び出しました。私は、たいしたことはないだろうと自分に言い聞かせ、連絡が入る間に入院になるだろうと旅行バッグに着替えやタオル、洗面器に娘の保険証などを準備しました。準備が終わる頃、再び電話が鳴りました。息を吹き返したのでとりあえずヘリで病院へ搬送します、と。
事故現場からそのグラウンドに着くまでに一度心停止したようですが、懸命な処置により再度鼓動を始めてくれたそうでした。ドクターヘリで来られた医師が娘の状況はかなり厳しいということではありましたが、ヘリを飛ばそう!と決断してくださり、その場にいた主人も一緒にと、ヘリに乗せていただき、病院へと飛び立ちました。私も入院バッグを抱え、何とか初めて行く病院にたどり着きました「大丈夫よ!娘なら大丈夫よ!」だが、そんな私の声掛けにも主人は涙を抑えることができずにいました。

医師からの話では、「MRIで検査しましたが、頭部への衝撃が強く、手の施しようがありません。今日の夕方まで持つかどうか……」とのことでした。娘には、下に2人妹弟がいて、すぐに学校へ迎えに走りました。病院へ戻る途中、ICUに移ったと連絡があり、駐車場から子どもたちと病室へ無心で向かいました。ICUの何床かある一画に娘が寝ていました。「お母さん、心配させてごめんね。大丈夫だよ」とほほ笑む娘をどこかで望んでいましたが、現実はそんなに甘くないどころか地獄でした。人工呼吸器に輸血と点滴、たくさんの配線。無造作に拭かれた顔の赤黒い汚れ……。担当医からは奇跡の奇跡が起こる可能性は「ゼロです」と言われました。まさに、テレビドラマのワンシーンのよう。まさか我が子が……。

 

夕方、脳外科担当医と今後の話をしました。「今は薬で血圧を安定させているが、これを止めてしまえば、徐々に他の臓器も停止するだろう」と。つまりは延命治療をするかということでした。主人は、娘が痛く、つらい思いをするくらいなら、早く大好きな家に帰してやりたいと、想いを伝えました。そして、ふと『臓器提供』の話を出したのです。そういえば、何年か前に娘とそんな話をしていたことを思い出しました。しかしそのとき娘は、興味が無かったのか話をまともに聞く気も無く、するともしないとも答えていなかったようです。
担当医はまさかそんな話をこちらからするとは思っていなかったようで、少し動揺されていましたが、お願いして話を聞いてみることに。翌日、日本臓器移植ネットワークの方が来られ、『臓器提供』の話を、本人の提供意思の有無、家族全員の同意が必要であることなどいろいろな話を伺い、どうするかを家族全員で話をしました。娘は、両家にとって初孫。そして、主人の両親と同居していることから義母は私よりも普段からの生活で娘と接する時間が長く、家族の中でも一番娘のことが分かるそんな間柄でした。なので、義母が孫の体にこれ以上傷を付けたくないと、一番に反対。
その気持ちはよく分かりましたが、それをも上回る想いとして私たち夫婦の願いは、今まで2回も止まりそして動き始めてくれた心臓をこのまま止めたくない、このまま全てを灰にするのではなく、この世のどこかで娘が動いていてほしい。幼少期の心臓手術で一度、心臓を止め手術をし、元気に鼓動し始めた、生きる望みを吹き込まれたこの心臓を止めるわけにはいかない。その想いを家族に伝えると、天国でも目が見えるように眼球だけは手を付けないでという義母の想いを受け、『臓器提供』に踏み切ることとなりました。ただ条件として、摘出手術までに娘自身が鼓動を止めたきは、『臓器提供』を望んでいなかったものとして中止するということで進めました。

その日から、私の中に娘を失う悲しみとは別に、何か希望というか光のような不思議な感情が生まれ始めました。数日後、娘が臓器提供を受け入れてくれ、多数の受け入れ先の医師と共に県警ヘリや新幹線などの交通手段を使い、4人の移植者の元へ娘は形を変えて旅立ち、新たな人生を歩み始めてくれました。だが、やはり娘自身が決めた進路を全うできなかった無念さや、せっかくできた友達と一緒の時間を過ごさせたいという想いを拭い去れず、校長に承諾いただき、娘に似せた人形を登校させ、部活や文化祭、夏の野球応援や修学旅行も同級生と楽しい時間を過ごすことができました。

そして、2年が過ぎ、3月。学校から連絡があり、皆との卒業式は難しいのでと、その後に校長室にて「小さな卒業式」を企画していただくことになりました。

 

娘が星になってからもお付き合いしていた娘の親友とお母さん、娘と関わっていただいた多数の先生方も同席で、この式を企画していただいた前校長より、娘の代わりに妹弟が卒業証書を授与させていただき、小さくもとても感動的な卒業式となりました。娘がドナーとなったことで、新しい出会いや娘からのつながりを今でも感じさせてもらえることに家族皆で感謝しています。こんなに誇らしい娘を持つ親でいられることに感謝!

出典:手記「think transplant vol.44」(公益社団法人 日本臓器移植ネットワーク)

 


 

 

 

 

病気が分かったのは、中学1年生のときでした。何日経っても微熱が下がらず、かかりつけの医院を受診したところ、大学病院を紹介され、検査のため入院となりました。学校にも野球の練習にも休まず行っていたので、自分では大変な病気ではないだろうと考えていましたが、想像以上に入院は長引き、検査結果を待っている間は毎日不安で仕方ありませんでした。
検査結果は、原発性硬化性胆管炎。肝臓の難病でした。主治医から、この病気は薬や手術で治る見込みがなく、将来的には臓器移植でしか助かる道がないことを伝えられたときには、母と一緒に泣いてしまいました。加えて、潰瘍性大腸炎、門脈圧亢進症を合併していることも判明しました。いつも通り学校へ通っていた毎日から一転して入院、そして診断された病気は難病。この現実を受け入れることができず”なんで自分が“と何度もこの言葉が頭に浮かびました。

 

中学3年生のとき、二学期の始業式に行こうとしたところ、発熱のため欠席。日を追うごとに熱が高くなり、大学病院に入院したものの改善せず、絶食することになってしまいました。約2ヵ月の絶食はとてもつらく、当たり前に食べられることがどれだけ素晴らしいことなのかを学びました。そのほかにも多くの症状に悩まされました。足の先まで全身が熱くてかゆい。黄疸も激しくて目も肌も黄色いし、顔はパンパンに腫れている。それなのに体は痩せていく一方で、お腹に入れたドレーン部分も痛み、”なんでこんなことをしているんだろう“と思うときもありました。でもこれ以上の心配をかけたくなかったので、つらい気持ちをなかなか周りには話せず、精神面でも病気との付き合いは難しかったです。

 

その後、熱の原因は原発性硬化性胆管炎によるもので、ついに移植の話が現実的なものとなり、日本臓器移植ネットワークに移植希望登録をすることになりました。そのときは”もしも移植を受けられなかったら“と考えると悲しくなり、自分がどうなっていくのかとても不安でした。また、誰かのいのちをつないでもらうということに対しても”これでいいのだろうか“と葛藤していました。移植の連絡が来たのは夜中の2〜3時頃、突然でした。時間がない中でしたが、家族と話し合い、手術を受けることを決意しました。
退院したときのことが一番印象に残っています。担当の看護師さんが涙を流して見送ってくれました。私のことを力いっぱい抱きしめてくれた看護師さんもいて、涙がこぼれそうになりました。”どれほど自分が恵まれていたのだろう“”こんなに自分のことを思ってくれていたなんて“などたくさんの感情が込み上げてきました。決して楽しいことばかりではなかった入院生活でしたが、新たないのちをつないでいただき、これから歩んでいく自分に病院の方々は最後までたくさんの愛をくださいました。

 

移植後に一番感じた変化は体のだるさが取れたことです。それまでは潰瘍性大腸炎による貧血の影響だと思っていましたが、移植により、それが肝臓の影響だったことが分かりました。毎朝感じていただるさがなくなったことで気持ちよく起きられるようになりました。生活も移植前と比べて薬の量が少なくなり、何より体が軽くなった感じがして、毎日がより楽しくなりました。学校にも休まずに行けるようになったことがとても嬉しかったです。移植後はすぐに高校生活が始まりました。私が通っていた高校は移植手術後で入院している私に病院内で受験をさせてくれたとても理解のある学校でした。体育の授業の配慮だけでなく、ほかのクラスでインフルエンザの生徒が出た際には免疫抑制剤を飲んでいる私にマスクを付けておくように声をかけてくださるなど先生方のサポートがとても嬉しく、今でも感謝しています。また、高校の友達はみんな私の話を聞いて、”とにかく生きててよかった!“と言ってくれました。そして私のことを心の底から理解してくれます。そんな友達に巡り会わせてくれた高校には感謝してもしきれません。

私は今、看護師を目指して大学に通っています。担当の看護師さんの存在が大きかったからです。入院中はいつも気にかけてくれて、寂しく、つらい思いをしているときは何も言わずにそばに居てくれたり、院内学級や日々の生活で楽しいことや嬉しいことがあったときはいつも聞いてくれました。そんな看護師さんのおかげで私は入院生活もつらいというよりは楽しくといったらおかしいのかもしれませんが、そのくらいの気持ちで過ごすことができました。私は生死に関わるような経験をしたから、生きていることが当たり前ではないと思えることができていますが、当たり前のことを考えるのが一番難しいのではないかと思っています。つらい病気と闘ってきたからこそ、何気ない生活のすべてが輝いて見えました。”あと何年生きられるか分からないから、その何年かを全力で生きて、最後には後悔しないようにしたい“そんな風に物事に対する価値観が変わり、前向きに過ごすようになりました。入院中に考えたこと、感じたことを活かし、臓器移植を受けた当事者だった自分だからこそできる看護があると思っています。

そして、ドナーの方には感謝という一言では表せないくらいの思いです。ドナーのご家族の決断に感銘を受けました。いのちをつないでいただいた私が今生きているからこそできることは、このいのちを次のいのちにつなげていくことです。第二のいのちを頂けたことに感謝し、ドナーの方と共に夢に向かって頑張っていきます。

出典:手記「think transplant vol.45」(公益社団法人 日本臓器移植ネットワーク)

 


 

 

 

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香川県健康福祉部医務国保課 TEL:087-832-3315